(第一東京弁護士会)
五十嵐 沙織(弁護士法人広尾有栖川法律事務所)
近年、歯科医院で抜歯を行った後に、患者さんからクレームが寄せられるケースが増えています。
クレームが発生する背景には、治療結果への不満や、事前の説明と実際の対応の間のギャップなどが関係していることが多いです。
本記事では、抜歯クレームが起きる主なケース、クレームを受けた際の対応の流れ、損害賠償の対象になるかどうかの考え方、そして今からできる対策についてまとめています。
目次
抜歯のクレームが起きる事例

歯科医院で抜歯を行った際に、患者さんからクレームが発生することがあります。
主なケースをいくつか確認していきましょう。
他院で「保存できた」と言われる
抜歯を行った患者さんが、他の歯科医院を受診し、「この歯は抜かずに保存できた」と言われたケースがあります。
患者さんは「なぜ抜歯されてしまったのか」と不満や疑問を抱き、抜歯を行った歯科医院に対してクレームを申し出てくることがあります。
ただし、抜歯の適応判断は、歯科医師の判断のもと、その時点での検査結果や歯の状態、治療方針のもとで行われるものです。
他院での診察時点と抜歯時点では、歯の状態が変わっていることもあるため、他院の意見と前医の判断が異なっていても、必ずしも元の歯科医院側に問題があるとは限りません。
事前の説明と違うと言われる
抜歯を行った後、患者さんが「事前に説明されていた内容と違う」と感じてしまうケースがあります。
例えば、抜歯後の痛みや腫れが予想よりも長く続いたり、場合によっては抜歯後に麻痺やしびれが出るといった例が挙げられます。
特に、下顎智歯などの抜歯の際には、神経の圧迫や損傷により、下歯槽神経麻痺(オトガイ神経麻痺)を引き起こしてしまうリスクがあるため、事前に丁寧に説明をしておくことが必要です。
患者さんは治療を受けるにあたって、事前の説明に基づいて判断しているため、実際の結果が大きく異なると、「話が違う」と受け取られてしまうこともあります。
クレームに発展する背景には、説明の内容と実際の対応の間にギャップが生まれていることが多いです。
誤抜歯
親知らず(智歯)の抜歯などにおいて、誤って隣接する歯を抜歯してしまったというケースが発生し、トラブルになるケースがあります。
誤抜歯については、比較的過失が認められやすいため、法的紛争に発展しやすいケースといえます。
そのため、万が一、誤抜歯が発生してしまった場合には、患者様に事情を説明し、弁護士等の専門家に相談のうえ、今後の治療費の負担を申し出るなどの誠意ある対応が求められます。
事前に同意が無かったと主張される
「抜歯について事前に同意していなかった」と患者さんが主張するケースは、時折発生します。
実際には歯科医師が患者さんの同意なしに抜歯を行うことは考えにくい状況ではあります。
しかし、書面による同意が残っていない場合、「言った」「言っていなかった」という食い違いが起きやすいです。
口頭での説明だけでは、後から同意があったことを立証することが難しい場面もあります。
また、患者さんが抜歯の説明を受けたことを覚えていなかった場合や記憶が曖昧になっていた場合もあります。
抜歯のクレームを受けたときの歯科医院の対応
抜歯に関するクレームが発生した際には、落ち着いて対応することが大切です。
歯科医院側の初期対応の流れを確認していきましょう。
まず患者の話を落ち着いて聞く
患者さんからクレームが入った際には、まず落ち着いて患者さんの話を聞くようにしましょう。
まず患者さんがどのような不満を感じているのか、どのような経緯でクレームを申し出るに至ったのかを丁寧に聞き取るようにしましょう。
患者さんの言葉の奥に、何に対する不満なのかを理解しようとすることで、その後の対応方針も変わってきます。
また、当段階で「医院側には問題がない」と反論したり、患者さんの感情を否定したりすると、対立がさらに深まる可能性があります。
まずは「ご不満に対してお気持ちは理解できます」と伝え、クレームの内容を整理して、冷静に対応しましょう。
診療記録や同意書を確認する
患者さんからのクレームの内容を把握したら、次に歯科医院側の診療記録や書類を確認していくことが必要です。
確認すべき資料としては、カルテ、レントゲン写真や画像データ、治療計画書、同意書、領収書、その他治療に関連する書類などが挙げられます。
患者さんの主張と実際の診療記録を照らし合わせることで、医院側の対応が適切であったかどうかを客観的に見直すことができます。
例えば、抜歯の判断に至る検査結果がきちんと残されているか、同意書がある場合は抜歯について明確に記載されているかなどを確認します。
証拠となる書類が揃っていれば、その後の対応や必要に応じた弁護士への相談もスムーズに進むことになります。
その場で謝罪や金銭の支払いは避ける
患者さんからクレームが入ったときに、すぐに謝罪したり、金銭の支払いに応じたりしてしまうのは避けるべきです。
「とにかくこの場を収めてしまいたい」と感じてしまうかもしれませんが、根拠のない謝罪や金銭支払いは、「医院側が責任を認めた」と解釈されるリスクがあります。
特に、合意書や書面を交わすことなく金銭を支払った場合、後日追加請求を受けた際に医院側に不利な状況になることがあります。
クレームの内容について十分に検討し、事実関係を確認する時間を確保することが大切です。
患者さんに対しては、「内容を確認した後に改めてご連絡いたします」と伝え、丁寧に対応しながらも即座に判断を下さないようにしましょう。
院内で事実関係を整理する
患者さんからのクレームの内容と診療記録を把握したら、院内で事実関係を整理する時間を設けましょう。
院長、担当した歯科医師、スタッフなど、抜歯に関わった方々に対してヒアリングを行い、当時の状況を確認します。
例えば、抜歯の判断に至った検査の結果や、患者さんへの説明の内容と対応の経緯、同意書の取得状況などを確認します。
また、患者さんの主張と医院側の認識の間にどのような相違があるのかも明確にすることが大切です。
院内での整理を経ることで、その後の患者さんへの対応や、必要に応じた弁護士への相談の際にも、医院側の立場を冷静に伝えられるようになります。
損害賠償になるかどうかについての考え方
抜歯に関するクレームが発生した場合、損害賠償になるかどうかは、いくつかの視点から判断する必要があります。
抜歯の判断や手技に問題があったか
まず、抜歯の判断と手技について、通常の医療水準に照らして問題があったかどうかを確認することが出発点になります。
抜歯の適応判断は、検査結果や歯の状態をもとに行われるものです。
そのため、医療水準に基づいた正しい判断であれば、結果的に他院の医師と意見が異なっていても、それ自体が責任の根拠にはなりません。
また、抜歯の手技について、適切な手順に沿って対応されていたかどうかも確認する必要があります。
上記の点が問題なかった場合、法的に過失がなく、損害賠償の請求に応じる義務は発生しないと考えられます。
ただし、判断や手技の妥当性を後から説明できるためにも、検査結果や治療の経緯が記録に残されていることが前提になります。
事前の説明と同意があったか
損害賠償の問題を考える際には、抜歯を行う前に、治療の内容やリスクについて患者さんに十分に説明し、同意を得ていたかどうかが重要な判断材料になります。
歯科医師には、治療を行う前に患者さんが理解できるように説明する義務があり、患者さんの同意なしに治療を進めることは許されません。
説明が行われていたとしても、内容が曖昧だったり、書面に残されていなかった場合は、「説明がなかった」「同意していなかった」と主張されやすくなります。
特に抜歯のような不可逆的な治療には、書面による同意書を取得しておくことが、医院側の立場を守るためにも求められます。
事前の説明と同意の有無と内容が、その後の責任の判断に大きく影響する点です。
保存の可能性について伝えていたか
抜歯の判断が医学的に正しかったとしても、歯の保存の可能性について事前に患者さんに伝えていたかどうかが問題になるケースがあります。
患者さんが歯の保存に強い関心を持っている場合、事前に説明されていなかった場合は、説明義務違反と判断されることがあります。
裁判例においても、医師には治療の選択肢(保存可能性)について患者に説明し、患者が熟慮して判断する機会を与える義務があると認められた事例があります。
抜歯と保存の両方の選択肢がある場合は、保存の可能性を伝えて、セカンドオピニオンを受けることを勧めるような対応が求められることがあります。
患者さんの関心や希望にも配慮した説明を行うことが、その後のトラブル防止につながる視点です。
抜歯のクレームを防ぐために今からできること

抜歯に関するクレームを防ぐためには、治療前から意識しておくべき対策があります。
具体的な取り組みを見ていきましょう。
抜歯前に同意書を取得しておく
抜歯のクレームを防ぐためには、抜歯を行う前に書面による同意書を取得しておくようにしましょう。
同意書には、抜歯の理由や検査結果をもとにした判断の経緯、抜歯に伴うリスクや後続の治療の概要、患者さんが抜歯に同意したという事実を明確に記載しておきましょう。
書面がある場合とない場合では、後から「同意していなかった」という主張があった際の対応が大きく変わってきます。
同意書を取得する際には、患者さんに対して内容を丁寧に説明し、理解した上でご署名をいただくことが求められます。
また、同意書は医院側にも保管しておくようにしましょう。
治療方針の説明と記録を丁寧に行う
抜歯を行う際には、治療方針について丁寧に説明し、治療内容を記録に残しておくことが大切です。
説明の内容としては、なぜ抜歯が必要と判断されたのか、検査の結果がどのようなものだったのか、抜歯後にどのような治療が必要になるのかも伝えるようにしましょう。
説明は口頭だけでなく、書面にまとめて患者さんに渡し、医院側にも同じ内容を保管しておくことが望ましいです。
また、説明の際には難しい用語はなるべく避けて、患者さんが理解しやすい言葉を使うことが大切です。
説明の経緯ややり取りの内容がカルテや書類に残っていると、後からクレームが入った際にも、医院側の対応が適切であったことを客観的に示すことが可能になります。
困ったときは弁護士に相談する
抜歯に関するクレームが発生した際には、対応に迷ってしまうことも少なくありません。
その場合、早めに弁護士に相談することが望ましいです。
弁護士に相談することで、患者さんの主張に対して法的にどのような対応を取るべきかについて助言をしてもらえます。
今後訴訟に発展する可能性もある場合には、早期の段階で備えを進めることができます。
また、患者さんへの対応の言葉選び、記録の仕方、書面の作成など、一般的には気付きにくい法的なポイントについても、アドバイスを受けることができます。
自己判断で対応してしまうと、かえって患者様の不信感を高め、トラブルが拡大してしまうこともあるかもしれません。
早期に弁護士に相談することが、歯科医院側としての冷静な対応につながります。
まとめ
抜歯に関するクレームは、対応の仕方や事前の準備によって、その後の展開が大きく変わってきます。
クレームが発生した際には、まず患者さんの話を聞き、事実関係を確認していくことが基本的な対応になります。
弁護士法人広尾有栖川法律事務所では、医療法務に幅広い知見を持っており、歯科医院様からのクレーム対応やトラブル防止についてご相談いただけます。
まずは、お気軽にご連絡ください。







